大麦
大麦はイネ化の穀物で、穂の形状により二条大麦と六条大麦に分類され、さらに皮と実が密着した皮麦と皮がはがれやすい裸麦があります。二条大麦は主にビールやウイスキー、焼酎などに加工され、六条大麦は麦茶、麦ご飯に、裸麦は麦味噌、麦ご飯などになります。
〇粉末としての大麦
大麦を炒ってから粉末にした「はったい粉(麦こがし)」は、砂糖を混ぜて焼いた練り菓子「はったい」や落雁(らくがん)などの和菓子の材料として、熱湯や牛乳で練り上げて食べる間食などとして用いられてきました。また、焼くと独特の香ばしさが出ることから、クッキーなどの焼き菓子やパンなどにも使用されています。
●健康機能性について
近年、大麦の水溶性食物繊維「β-グルカン」に以下の健康機能性があるとされ、健康食品としても再注目されています。
①血中コレステロールの正常化
②食後血糖値上昇抑制作用
③満腹感の持続作用
平成27年から大麦食品に対する①~③の機能性表示が可能となったほか、農林水産省の機能性食品に対する研究対象にもあげられています。
海外でも、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドで、β-グルカンを一定量含む大麦食品に対して「大麦の血中コレステロールを低下させることによって、心臓病リスクを下げる」との健康表示が認められているなど、多くの国で健康への良い効果が認められています。今後、血圧降下作用や腸内細菌叢の改善作用、免疫増強作用などの研究がさらに進められていくことでしょう。
●歴史
大麦は、1万年ほど前から中近東で栽培されていたといわれており、古代エジプトのツタンカーメン王の墓(約三千年前)からも発見されています。当時は、炒って粉末にしたものを水に溶いて食べたり、粗挽きにして粥のようなものにして食べていたようです。
日本に伝来したのは、弥生時代初期ごろ。奈良時代には、日本各地で栽培されています。平安初期に編纂された日本最初の百科事典『和妙類衆聚抄』にも、「米麦を乾かし、これを炒って粉にし、湯水に転じて服す。これを『みずのこ』あるいは『はったい』という」と登場しています。また、お米と混ぜて麦ご飯として、食べられるようになったのも平安時代からという説があります。
鎌倉時代になると、二毛作の米の裏作として大麦の栽培量が増加。小麦のように製粉する必要がなく、粒のまま食べられることなどから重要な主食となっていきました。江戸幕府を開いた徳川家康が麦ご飯を好んで食べていたことが『徳川実記』に記されています。また、同時代には、はったい粉が登場しており、豊臣秀吉が主催した茶会でも、はったい粉で作ったお茶が振る舞われたという記録も残っているようです。
しかし、白米のご飯がご馳走とされていくなか、次第に、麦ご飯は貧しいご飯とみなされていきます。明治時代に入ると、日本では「脚気」が流行。この原因の一つが、麦ご飯離れだと言われています(後々、脚気の原因がビタミンB1の欠乏だとわかります)。海軍の軍医であった高木兼寛は、栄養欠陥から起こるものと考え、白米ではなく麦ご飯を食べさせました。それが広まり、脚気は予防されるようになりました。
その後、小麦の栽培が増加するとともに、小麦の栽培は低下。高度経済期に入ると二毛作が行われなくなり、裏作が中心だった大麦の栽培は大きく減少しました。戦後の日本で、100万トン程度食べられていましたが、現在は2万トンほどまで落ちています。しかし、近年では、大麦の持つ健康機能性が注目を集め、健康に気をつかる人々を中心に需要が伸びています。
※参考
・大麦食品推進協議会 http://www.oh-mugi.com/
http://ohmugi-tanken.com/history/index.html
・全麦連 http://www.zenbakuren.or.jp/
・日本穀物協会 http://www.zakkoku.jp/index.php?pg=kind_of_millet